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懐かしい弘前のジャズ喫茶「スガ」

学生時代約40年前に入り浸っていたジャズ喫茶「スガ」。私のジャズ史はすべてここから始まった!(⌒-⌒; ) 懐かしい〜! マスターまだ元気かな〜⁉︎


下記、サイト「全国ジャズ喫茶&ジャズバーリスト」さんより引用
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ジャズ喫茶全盛期の面影をそのままに

「新譜を聴く人が少ないんだわ。店にはこんなに新譜のジャケットを飾ってあるのに注目する人がいない。とっかえ、ひっかえプレスティッジとかブルーノートばっかりじゃあさ、もう、うんざりだよ(笑)」

「こっちはリクエストしてもらったら、かけなきゃお金もらえないからかけるけど、それでいいのかよと。『カインド・オブ・ブルー』なんて2、3年聴かなくたっていいんだよ(笑)。ジャズ喫茶の看板掲げるなら新譜買わなきゃだめだよな、どの店のマスターも。やっぱりさ、新しいのを聴かないと話になんないわ」とマスターの菅原定夫さん。

新宿の「DIG」を筆頭に全盛期のジャズ喫茶はこぞって新譜の買い入れを競った。菅原さんにしてみると、ジャズ喫茶とは新譜を聴くための場所なのだ。

明治以前から津軽地方の中心的な都市として栄えてきた弘前のいちばんの繁華街は、弘前城からほど近い土手町あたりだが、この界隈には「鉄砲町」「親方町」「上鞘師町」「下鞘師町」「鍛冶町」など、かつての城下町の名残である地名が多い。そのなかのひとつ、「新鍛冶町」にあるのが菅原さんの経営するジャズ喫茶「スガ」だ。創業は1970年。

「ジャズ喫茶を始めたいきさつ? 語るほどのいきさつはないね。生まれは秋田の大館なんだけど、弘前に来たのはこの店を始める8年前の1962 年から。父親の仕事でここに来て、それがそのまま50 年居ついてしまったの。ジャズを聴くようになったのも弘前に来たころ」

「知り合いが、レコードを持ってオレの家に来たの。彼はひとつ歳上だったかな。オレの家には買ったばかりのレコードプレイヤーがあって、彼はさ、オレをびっくりさせるつもりでジャズのレコードを持ってきたんじゃないかと思うんだ。LPというのを手に取ってみるのは初めてだったね」

「それまでドーナツ盤を50、60枚は持っていたけど、映画音楽とかニール・セダカ、ビリー・ボーン楽団あたり。そんなところへ彼がマイルスの『カインド・オブ・ブルー』を持ってきたのよ。一発で衝撃を受けた。それは『カインド・オブ・ブルー』の最初の国内盤で、日本語で「トランペット・ブルー」というタイトルになっているやつね。でもマイルスよりも、そのとき知り合いが持ってきていたランディ・ウェストンのカフェ・ボヘミアのライブ盤のほうがずっと後まで気になったなあ」

マイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』のいちばん最初の国内盤は1960年に日本コロムビアからリリースされたもので、いちおうジャケットの表は「Kind Of Blue」と英語タイトルになってはいるものの、マイルスがトランペットを吹いている上半身の写真を大きくあしらった、オリジナルデザインとはまったく違うものだった。いわゆる「ペラジャケ」という、薄いペラペラとした紙で作れられたもので、裏には「トランペット・ブルー」と日本語タイトルが大きく入り、その下に日本語ライナーノーツが印刷されていた。

そのころ菅原さんは 「もう水商売を始めていた」という。最初はキャバレーで働き、つぎにバーで修行して店長のような仕事をまかせられるまでになった。その後、ふつうの喫茶店で働いたのち、ジャズ喫茶「スガ」を持つようになった。

「この店を始める前に、食器を買うために東京へ行ったよ。そのときに『DIG』とか『木馬』とか、ジャズ喫茶にはけっこう行ったね。この店の椅子とかはさ、ちょっと『DIG』の真似をしてるわけさ。やっぱりあのころは憧れだったね」

わざわざ什器類を東京で買い求めたように、「スガ」の店内の造りには随所にこだわりがある。なかでも菅原さんのご自慢は、つなぎ目のまったくない1枚のステンレス板でできた、およそ3間(約5.5メートル)はあろうかという長いカウンターだ。1枚板のカウンターは貴重だが、ステンレスというのも珍しい。

「この長いステンレスの板をどうやって店に搬入したと思う?」

「スガ」は雑居ビルの狭い階段を上がった2階にあって窓がない。どうやって入れたのだろう。

「巻いて入れたんだよ。薄いステレンスの板だからぐるぐると巻けるわけ。それを店に入れてから伸ばしてカウンターに据えつけたの」

このカウンターをはじめ、椅子、DJブースまで、1970年の創業時から店の造りにはほとんど手を加えていないという。

開店したばかりの1970年頃は、ESPレーベルに代表される「ニュー・ジャズ」と注目された前衛ジャズ色の濃い新譜をかける、かなり尖った雰囲気のジャズ喫茶だった。それが気に入ったのか、ギターケースを持ったひとりのアメリカ人青年がこの店にやってくる。

「たぶん彼は学生だったと思うんだよね、3日ぐらいここで寝泊まりしたんだ。はじめはユースホステルに泊まると言っていたけど、もうちょっと遊びたいって、なかなか帰らないわけ。で、ここに泊まりたいような目配せをするから、おめえ、寝袋持ってんの? って訊いたら持ってると。じゃあ、ここで寝ていいからと言って泊めたの」

「3日ぐらいこの店にいて 帰るとき、おい、ギター持ってるんだから弾いてみてよといって、ギターアンプを置いて弾かせたの。オーネット・コールマンに近い人と親しいみたいなことを言っていたな」

「それで彼のギターケースの中を見たらオーネット・コールマンの自筆の譜面が入っていたの。おめえ、3日もここに泊まったんだから、それを置いてけと言ったらさすがに渋ったけど、『よこせ』って無理やりとったようなもんだよ(笑)」

そのオーネット・コールマンの譜面は『サイエンス・フィクション』に収録されている「ホワット・リーズン・クッド・アイ・リヴ」だった。女性ヴォーカルの歌が入っている曲だ。

「スガ」のカウンター奥には、菅原さんとオーネット・コールマンが一緒に写っている写真が額に入れられて飾ってある。どうやら菅原さんが、アメリカ人青年が置いていった譜面をオーネットに見せているときの様子らしい。

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  • 店主:菅原定夫/創業年:1970年
  • 住所:青森県弘前市新鍛冶町4-8
  • TEL:0172-34-0248
  • アクセス:弘南鉄道大鰐線「中央弘前」駅より徒歩4分(350m)、JR「弘前」駅より徒歩18分(1.4km)
  • HP:なし/SNS:なし
  • 営業時間:月〜土17:00〜24:00(休:日曜)
  • ライブ:なし
  • ディスク数:LP5,000枚 、CD3,000枚
  • メニュー:ビール、ウィスキー、コーヒーその他

<AUDIO>

  • ターンテーブル/デンオンDP80+SME3009×2台
  • アンプ/マッキントッシュMC7270、C34V、アキュフェーズC200、カウンターポイントC-100
  • スピーカー/JBL L101オリジナル









Commented by とっくん at 2016-08-29 01:04 x
俺もよく通ったよ、他にはグラバーテイとか、オーヨーとか、jeanとか、みんな大昔に閉店だよなーー
Commented by saryou2317 at 2016-08-31 14:42
そうですよねー懐かしい名前だらけ、オーヨーも行きました。グラバー邸(正確な文字は覚えていませんが確か全部当て字漢字だったか⁈)は10年くらい前にはまだありましたよ。ママさんも元気でした(^ ^) Jeanはわかりませんが、仁夢とか鍛冶町のバードランドも良く行きました。弘前は町の大きさからするとジャズ喫茶多かったですね! 懐かしい学生時代です( ^ω^ )
by saryou2317 | 2016-08-06 22:57 | Jazzの話 | Comments(2)

都会でのサラリーマン定年退職後、田舎暮らしを求め中央アルプスと南アルプスの両方が綺麗に見える町、長野県飯島町に取得した築明治6年の蔵をほぼ夫婦2人で改装し「蔵とJazzとガレット」をコンセプトにしたカフェを土日祝日のみ営業しながら、平日は畑で野良仕事をして生活しています。店のこと、田舎暮らしのこと、趣味の音楽(ジャズとロックなど)のこと等を発信しているサイトです。


by saryou2317
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