2011年3月11日(金)の東日本大震災から今年で11年。
毎年掲載投稿していますが。。。この日を決して風化させぬよう「備忘録」として今年も敢えてお伝えします。(長いですので悪しからず)
当時私は東京の会社で転勤先の福岡に家族を残して、仙台に単身赴任在住中、3月11日車で秋田での仕事を終え高速道路秋田道で仙台までの帰路、秋田県西仙北サービスエリア駐車場にて休憩中、かつて経験したことが無いこの世の物とは思えない(まるで地の底で大きな物体が暴れてるような感じの)凄まじい揺れに見舞われました。後に判明した太平洋側海底震源地近くの岩手県釜石からは西に約130kmくらい離れた内陸でしたが、その揺れはかなり激しいものでした。その後、高速道路は閉鎖されたため駐車場にて車中泊。翌日、不足し始めた車ガソリンを入れるべく、とりあえず高速道路サービスエリア先の大曲インターを出たが、停電のため営業していないガソリンスタンドにて仙台までのガソリン入れられなかったため、地震によってまだ停電中だったが営業していたビジネスホテルルートインに何とか宿泊し、その翌日、やっと停電解消した秋田県内でガソリン補充し大渋滞の一般道を何時間もかけて南下しやっとの思いで仙台帰宅した。しかし、半壊した自宅マンション内でその夜頻繁に起きる大きな余震に怖くて寝ることが耐えられず、避難所に指定されていた近隣の東二番丁小学校に行ったが、そこは溢れ返った被災者でいっぱい。教室や廊下、階段まで被災者が寝ている隙間を探して、校舎入口に置いてあった段ボールを敷布団代わりにしてやっと横になったが、不安と共に悶々としてまんじりともせずに一夜を過ごした。このような過去に経験したことのない体験は忘れられない。未だにちょっとした小さな地震揺れを感じると心臓がドキドキする(いわゆるトラウマっていうやつですか⁉︎)
しかし、津波、原発被害放射能汚染など私などとは比較にならないほどの凄まじい被害にあわれた方々や、未だに解決に至っていない問題も多々ある。皆さんこの事実を決して忘れないでください。
当時震災直後に私が撮った写真を敢えて掲載します。
・仙台郊外浜近辺の田んぼがガレキの山と化した悲惨な津波被害(まるで地獄絵図)
・廃墟のような仙台市内
・停電のためエレベーターが動かずビル14階の会社事務所まで階段で昇って見た被害状況
・単身赴任先マンション廊下壁バッテンになって崩れそうな壁及びドア被害、社宅マンションエントランスのエレベーター前に貼ってある文言等々の写真。